フローレンス・ナイチンゲールは、1820 年 5 月 12 日にイタリアで生まれま した。家族の反対にも負けず、人生を看護に捧げ、すべての人へより良い医 療と公衆衛生を提供することを心に誓いました。「ランプの貴婦人」の伝説 は、クリミア戦争中の彼女の働きぶりから生まれたものです。そして戦場で の体験をきっかけに、ナイチンゲールのたゆまぬ研究活動や執筆活動、精力的な取り組みが始まったのです。クリミア戦争の終結後、王立委員会に対し て陸軍病院や軍隊の衛生状態に対する介入を求めるとともに、インドに駐留するイギリス軍および現地住民の健康と衛生状態の調査をみずからの手で開始しました。一方、クリミア戦争での貢献に対する感謝の気持ちとして、一般の人々からナイチンゲールへたくさんの寄付が集められました。その資金をもとに、世界初となる組織化された看護師養成学校、「ナイチンゲール看護学校」が聖トーマス病院内に開校されました。 ナイチンゲールが成し遂げた最大の功績は、看護師という仕事を女性が就く立派な職業として確立したことでしょう。病院計画および組織に関する彼女の著書は、イギリス国内のみならず世界中で計り知れないほどの影響を与え、200 冊を超える書籍や報告書、パンフレットなどが出版されてきました。 1910 年 8 月 13 日、フローレンス・ナイチンゲールは 90 歳でこの世を去りました。彼女は 19 世紀において最も大きな影響力を持つ著名な女性のひとりだと言えます。現在でも、ナイチンゲールの著書は看護師、ヘルスマネージャーおよびプランナーにとってのバイブルとなっています。 メアリ・シーコールは 1805 年、アフリカ人の血を引く母親とスコットランド軍人の父親の間にジャマイカで生まれました。シーコールは、クレオールやアフロカリブの伝統療法と、母親から学んだ看護学および薬草学を実践する「女性医師」でした。1854 年 9 月、クリミア戦争での惨状を耳にした彼女は、ジャマイカで知り合った兵士たちを救いたいという思いに突き動かされます。
そして単身でクリミアへわたり、そこで事業を立ち上げたのです。「ブリティッシュ・ホテル」と呼ばれたその場所は、日用品店でありながら、兵士が看護を受けられる場でもありました。シーコールはさらに、戦場の前線へ赴いて兵士を看護し、時には手術を行うこともあったと言います。その熱心な看護から、兵士たちの間では「マザー・シーコール」として親しまれました。ロンドンへの帰還後には、自叙伝『The Wonderful Adventures of Mrs. Seacole in Many Lands』を執筆し、1857 年の初版以来、現在でも出版されています。その後もシーコールはロンドンとジャマイカで「女性医師」として活躍を続け、1881 年にこの世を去りました。現在は、ケンサル・ライズのカトリック墓地でひっそりと眠っています。
|